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MUFON発【政府の極秘マニュアル】1 [MUFON発/情報B]

MUFON(ムーフォン)とは、世界中のUFO目撃事件を調査・研究する民間ボランティアで構成される、政府とはしがらみの無い独立した組織である。米国に拠点を置き、正式名称はMutual UFO Network、日本語では「相互UFOネットワーク」と訳される。

1994年3月。航空ライターでありUFO研究家でもあるドン・バーリナーは、受け取った郵便物の中に覚えのない小包を見つけた。

UFO歴史家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『ドン・バーリナーは、ウィスコンシン州で開催された航空ショーで撮影をしたり人と会ったりして、戻った所でした。自宅に届いた郵便物には差出人の無い小包があり、中にはフィルムが1本入っていました。航空ショーに置き忘れたフィルムを誰かが送ってくれたのだろう、と思いました。ですが、その予想は外れました。彼が撮影した飛行機では無く、何枚にも及ぶ極秘文書の写真が入っていたのです』

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表題はSOM1-01(ソム・イチレイイチ)。これは、地球外生命体とその技術を回収するための特殊作戦マニュアルである。

リチャード・ドーラン氏が続けて語る。
『これが真実なら、人類の在り方さえ変わってしまいます』

SOM1-01は実在するのか?もしそうならば、政府はUFOについて知っているだけでなく、UFOを回収するための手順を準備しているということになる。

現在に至るまで、アメリカ政府はUFOや地球外生命体の存在を認めていない。ホワイトハウスの方針によれば、UFOは存在しないことになる。しかし、政府の極秘文書「SOM1-01」の発見は、これまでの政府の発表はすべてウソであるという証拠になるかもしれない。

作家のライアン・ウッド氏が語る。
『SOM1-01が本物であれば、軍は何十年もの間、世界各地で墜落したUFOを回収し、それを隠ぺいしていたことになります』

SOM1-01の信憑性については、UFO研究家の間でかねてから議論されており、疑問も浮かんでいる。

ライアン・ウッド氏が、続けて語る。
『100パーセント本物であるとは言い切れませんし、常に反論はあります。ですが、我々は長い年月と労力を費やし、文書をあらゆる側面から研究し、このマニュアルが本物であるという確証を得ようと努力しました』

MUFONのロバート・ウッド、その息子のライアン(本編で語っている人物)、そしてスタントン・フリードマンはこのマニュアルを裏付けようと努力した。

ライアン・ウッド氏が、続けて語る。
『父はオリジナルのネガを写真店に持ち込んで、六つ切りサイズに現像してもらいました。そして拡大鏡ですべての文字を確認し判読すると、特殊作戦マニュアルの完全な写しを作成しました』

MUFON事務局長のジャン・ハーザン氏が語る。
『スタントン・フリードマンは、内容の事実関係に着目しました。例えば、マニュアルに記載された施設は当時運営していたかどうか、証拠の梱包指示は合理的か、文書に使われている言葉は当時の表現や用語かどうか、などです』

ライアン・ウッド氏が、続けて語る。
『例えば、マニュアル変更者の欄にJRTやEWLなどのイニシャルが書かれています。そこで、1954年から1955年のアルバカーキの電話帳でこれらのイニシャルを調べてみたのです。すると、ありました。確かにJRT;ジェス・R・トッテン中佐とEWL;エドワード・W・レビーン中佐という人物がいたのです!』

UFOが存在しないなら、政府はUFO墜落時の対処法に関するマニュアルなどを作製するだろうか?

UFO目撃者のブライアン・マシソン氏が語る。
『UFOの墜落は起こっており、それを回収するためのマニュアルが存在し、政府が介入している。これですべて辻褄が合うと、私は思います。完全なサイエンス・フィクションだと思っていたことが、突然現実味を帯びてきました。これは、映画でもテレビでもありません。我々の目の前で起こっていることなのです』

リチャード・ドーラン氏が語る。
『この文書は、UFOを回収するという空論に基づき作成された訳ではありません。マニュアルには、詳細に渡る情報が記載されています。一度切りのUFO墜落で作られた訳では無いでしょう。こうした文書が作られた裏には、度重なるUFOの墜落があったはずです』

特殊作戦マニュアルが発行されたと言われる前年に、そんな墜落事故の一つが発生した可能性がある。多くの研究家たちは、この墜落にまつわる出来事がSOM1-01マニュアルに盛り込まれることとなった指令や手順に影響を及ぼしたと主張する。

ケース1;キングマンUFO墜落事件《現場封鎖》
1953年5月アリゾナ州キングマン。空軍基地の管制塔のレーダーに不審な飛行物体が認められた。その物体は突然急降下し、レーダー画面から姿を消す。管制塔勤務のウルコットという士官がそのことに気づき、他の者達も地平線を見て墜落したと騒いでいた。

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(イメージ)

MUFONペンシルベニア州局長のジョン・ベントレ氏が語る。
『ウルコットを含む数人がジープに乗り込み、何かが墜落した現場へ向かいました。墜落があったと思われる地点の周辺を探してみると、遂に発見がありました。彼らが目にしたのは、それまで見たことも無いような航空機でした。丸い金属製の円盤が50センチほど砂に埋まっていて、円盤には損傷はいっさいみられませんでした』

この状況にどう対処すべきか迷っていたウルコット達のもとに、墜落に気づいた軍の将校たちが到着した。

ジョン・ベントレ氏が、続けて語る。
『数分の内に軍の将校たちが駆けつけました。現場は封鎖され、目撃者たちは取り調べを受けました。墜落現場は、完全に軍の監視下に置かれたのです。回収チームの者以外は全員外に出され、この事は誰にも告げないようにとの警告を受けます』

この時の軍の手順は、その後SOM1-01で見つかった指示内容と完全に一致していたようである。

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(第3章 RECOVERY OPERATIONS;回収作業)

ライアン・ウッド氏が語る。
『特殊作戦マニュアル第3章は回収作業について書かれており、「現場封鎖」の項目もあります。墜落事故があった場合、軍はすぐに現場に駆けつけて非常線を張り、緊急指揮所を設置し現場を統制するというものです』

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(第13項 現場封鎖)

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『現場を封鎖して指揮所を設置したら、その一帯に未許可の者が残っていないかどうか、徹底した捜索を行います。目撃者を見つけたらすべて上に報告し、その場から追い出します』

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(マジェスティック12グループ 1954年4月と表示)

ライアン・ウッド氏が語る。
『1953年のキングマンの墜落事故は、マニュアルが発行された前の年に起こっています。ですが、政府はすでに態勢を整えつつあったようです』

現場封鎖の手順は、特殊作戦マニュアルで説明されている各種手順の一つにすぎない。だが、それらの手順が存在する目的は唯一つ、秘密を守ることである。SOM1-01に含まれるUFO墜落事故への対処手順は、やはり政府の隠ぺい作戦を裏付ける確かな証拠なのだろうか?
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
コンピュータ技術やインターネット技術を人類が発達させることができたのは、墜落したUFOからアメリカ政府が「宇宙人のテクノロジー」を獲得したためとされている。そのためにアメリカ政府はマジェスティック12(当ブログを参照ください)を組織して、素早く秘密裡に世界中のUFO墜落現場へ出向き丸ごと回収するために作られたマニュアルがSOM1-01であると、UFO研究者の間で言われている。
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MUFON発【政府の極秘マニュアル】2 [MUFON発/情報B]

MUFON(ムーフォン)とは、世界中のUFO目撃事件を調査・研究する民間ボランティアで構成される、政府とはしがらみの無い独立した組織である。米国に拠点を置き、正式名称はMutual UFO Network、日本語では「相互UFOネットワーク」と訳される。

MUFONは、これまでで最も衝撃的な公式文書の存在を突き止めた。SOM1-01(ソム・イチレイイチ)、墜落したUFOの回収手順を説明した政府の特殊作戦マニュアルである。UFO研究家の間では、このマニュアルの信憑性について意見が分かれている。そんなマニュアルの製作のきっかけとなったとされるのが、有名なロズウェル事件である。

ケース2;ニューメキシコ州ロズウェル事件《報道管制》
1947年7月上旬、ニューメキシコ州アルバカーキ。

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『リディア・スレッピーは、アルバカーキのラジオ局に勤務していました。彼女はテレタイプ担当で、ニュースを受信したり系列のラジオ局に記事を発信したりしていました』

MUFON調査員のジェレミー・レイ氏が語る。
『リディアのもとに、ロズウェルのラジオ局にいるジョン・マクボイルから電話がありました。ネットワーク向けに凄い特ダネがあると言うのです。リディアは電話でジョンの話を聞き、その内容をハリウッドのABCニュース本部にテレタイプで送りました。それは、「ロズウェル北部に空飛ぶ円盤が墜落した」という内容でした。リディアがニュースを打ち込んでいると、テレタイプがメッセージを受信したことを告げるベルが鳴りました。リディアは、端末に入って来たメッセージを手に取りました。そこには「FBIだ。今すぐ通信を中止せよ」とありました』

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(UFO墜落事件は公になった)

恐ろしくなったリディア・スレッピーは、FBIの指示通り通信を中断する。だが、事件を隠そうとした政府の試みは失敗に終わり、メディアはロズウェルの空飛ぶ円盤墜落事件を嗅ぎつけたのだ。

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(第3章・12項 報道管制)

歴史家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『ロズウェル事件はごく初期に起きたUFO回収事件ですから、報道陣にどう対応するかという具体的な決まりがありませんでした。このため陸軍は、気象観測用気球が墜落したというでっちあげの情報を流して、急場をしのいだのです。特殊作戦マニュアルの回収作業の部分を見ると、まず報道管制に関する事柄が書かれているのもうなずけるでしょう。ロズウェル事件での教訓が繁栄されています』

ロズウェル事件で経験した報道ミスを未然に防ぐため、SOM1-01では政府が墜落事件のもみ消しに失敗した場合の対処法についても明記されている。

リチャード・ドーラン氏が、続けて語る。
『マニュアルによれば、最初にすべきことは事件を否定することです。つぎに話したがる目撃者がいる場合、精神的に不安定だなどの理由を付けて、その人物の信用を傷つけるのです。それでも駄目ならばウソを並べます。あれは隕石だったと発表したり、目撃者を現場から一掃したいなら、有毒な科学物質が漏れだしたと言えばいいのです』

ロズウェル事件では、早期墜落事故においてまだ手順が整っていなかったことが路程している。だが、キングマンの墜落事故を見てみると、1950年代半ばには警備態勢を高めるため新しい手順が導入されたことが窺える。

ケース3;アリゾナ州キングマンUFO墜落事件《警備》
1953年5月、キングマンの墜落事故当日。アーサー・スタンセルは、現場から300キロ余り離れたネバダ核実験場で勤務していた。

リチャード・ドーラン氏が語る。
『スタンセルは、ライトパターソン空軍基地で働く空軍資材コマンドのエンジニアでした。当時彼は、ネバダ核実験場に出向していたのです』

スタンセルは極秘任務に呼び出され、他の15名の専門家と共に直ちにフェニックスへ飛んだ。フェニックスに到着すると、彼はすべての窓が完全に閉ざされたバスに乗り込んだ。

リチャード・ドーラン氏が、続けて語る。
『専門家たちは、極めて高度な実験的航空機が墜落し、その回収にあたるのだと知らされます。墜落現場に到着すると、全員が自分の専門分野に関することだけを調査し、それ以上のことは一切しないよう告げられました。極めて厳密に区分化された任務でした』

MUFONバージニア州調査委員長ベン・モス氏が語る。
『バスから降りたスタンセルを憲兵が誘導しました。大勢の警備員たちが、何かを遮る様に立っています。現場の照明がまぶしくて、周囲の状況はほとんど見えませんでした』

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(何かが地面に埋まっていた・イメージ)

リチャード・ドーラン氏が語る。
『何かが地面に埋まっていました。それは直径9メートル程の空飛ぶ円盤のような物で、50センチ程地面に埋まっているように見えました。彼に与えられた任務は一つです。それは、衝突の状況から物体が墜落した時のスピードを算出することでした。作業を終えたスタンセルは、結果を上に報告します。すると長い尋問を受け、すべての記録を没収されます。そして右手を掲げ、調べた内容を決して口外しないよう誓わせられたのです』

アーサー・スタンセルの証言によれば、キングマンの事故現場の警備は極めて厳重だったという。

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『スタンセルの説明から、当時の現場における作業の様子が非常によく伝わってきます。墜落現場で起きた出来事は、専門家のデータ分析に至るまで完全に区分化されており、誰も全体像をつかめていませんでした』

こうした区分化は、機密を守る上で極めて重要だと言える。だが、キングマンでの対応は、UFO墜落事故の初期段階の警備手順だったようだ。1年後、特殊作戦マニュアルが発行された時、その警備手順は変更されていた。

ドワイト・エクイツ氏が、続けて語る。
『公式文書SOM1-01では、現場での専門家による分析をあきらめたようです。現場状況を確認した後は、発見された物をすべて安全な極秘の施設へと移動させることになったのです』

マニュアルは何故、UFOを現場で分析するのではなく、出来るだけ早く移動するよう指示しているのだろうか?単に墜落した機体を世間にさらすことを防ぐためなのか?キングマン墜落事件におけるもう一つの複雑な要因が、予期せぬ危険な事態を招き、さらに万全を期する対処法へとつながった可能性がある。

ケース4;ニューヨーク州ロングアイランドのサウスヘブンパーク
1992年、感謝際の日。ロングアイランドのサウスヘブンパーク付近の住人が、飛行機の墜落を通報した。

MUFONペンシルベニア州局長のジョン・ベントレ氏が語る。
『1992年11月24日午後7時ごろ、ロングアイランドのハイウェイをバイクで走っていた人物が、サウスヘブンパークに飛行機が墜落したようだと通報します。他の住民達からも、空に不思議な光を見たとの報告がありました』

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(公園上空を軍のヘリが飛んでいた・イメージ)

ドワイト・エクイツ氏が語る。
『墜落の後、公園で火災が起きた様でした。消防士たちが駆けつけましたが、彼らは地元の消防団ではなく政府が管轄するブルックヘブン国立研究所の消防士たちでした。公園周辺の道路は地元警察によって封鎖され、連邦捜査官以外は公園内への立ち入りが禁じられていました。また、軍のヘリコプターが何機も公園上空を飛んでいるのが見えました。それから数日間、公園は完全に立ち入り禁止となったのです』

ジョン・ベントレ氏が語る。
『周辺住民は、墜落から五日間ほどは何度も電気の異常が起こったと述べています。しかし、これについて質問を受けた電力会社からは、停電などの異常は一切無かったと答えました。11月25日から28日まで公園が閉鎖されたことについて、当局は民間による鴨狩りが行なわれたためだと説明しました。鴨狩りなど、不自然でしょう。マニュアルの8ページ目をみると、現場の機密性を確保するため、虚偽の発表が必要になることもあると書かれています』

サウスヘブンパークでは、SOM1-01に記された警備態勢が極めて正確に実行されていたようである。

続けて、ジョン・ベントレ氏が語る。
『このサウスヘブンパーク事件では、連邦捜査官だけが現場に入ることを許された点も重要です。マニュアルの9ページ目に、地元の警察には非常線の設置や群衆の整理に関して協力してもらうが、墜落現場への立ち入りは禁じると書かれています。また、報告によれば、地元の消防士ではなく連邦政府の消防部隊が警備に当たったそうです』

厳重な警備は、機密を守ることだけが目的だったのか?何十年も前に起きたキングマン事件を掘り下げて調べるうち、もう一つの目的が見えてきた。それは・・・
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
連邦捜査局(FBI)は、司法省に属するアメリカ合衆国の警察機関の一つ。国内の治安維持を一手に担い、複数の州に渡る広域事件も捜査を担当する。事件内容によっては、どこにでも現れるのがFBIである。

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MUFON発【政府の極秘マニュアル】3 [MUFON発/情報B]

MUFON(ムーフォン)とは、世界中のUFO目撃事件を調査・研究する民間ボランティアで構成される、政府とはしがらみの無い独立した組織である。米国に拠点を置き、正式名称はMutual UFO Network、日本語では「相互UFOネットワーク」と訳される。

ケース5;アリゾナ州キングマンUFO墜落事件《技術研究》
キングマンでは、墜落した飛行物体の中に入る特別部隊が招集された。進入チームは防塵服とマスクを着用した。また、無線を通じて外のチームと連絡が取れるようになっていた。作業員達は内部に進入したが、すぐに混乱に陥った。

MUFON調査員のジェレミー・レイ氏が語る。
『まず、通信が断たれました。内部チームは、外部チームと全く連絡が取れなくなったのです。機内で1時間ほど過ごしたあと出て来た作業員は、様子が変でした。内部チームは皆吐き気を感じると言い、全員がすぐにマスクを外し嘔吐し始めたのです』

警戒した当局は、素早く行動を開始した。進入チームはただちに除染対象となり、別の極秘施設に移されて医療検査が行われた。現場に残った者たちは困惑した。彼らは何にさらされたのだろうか?

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『作業員たちは、宇宙の物質に対して生体反応を見せたのでしょうか?それとも、UFOは毒性のワナだったのでしょうか?』

UFO目撃者のブライアン・マシソン氏が語る。
『作業員たちはおそらく、UFOの機体から影響を受けて具合が悪くなったのです。高度な技術で作られた物で、我々がまだ発見していない物質を材料として使っているのかもしれません』

このように回収チームが地球外の物体にさらされる危険があるため、マニュアルには飛行物体へのアクセスを制限する指示が記載されている。さらに、墜落した物体を回収し安全な場所へと移動する手段についても指示がある。だが、UFOの運搬は大きな危険を伴う。現場を警備するのは、最初のステップに過ぎない。移動となると、まったく別の次元の作業である。キングマン事件では、UFO回収作業の難しさと危険性が浮き彫りとなった。

ケース6;アリゾナ州キングマンUFO墜落事件《撤去と移動》
1953年5月、コロラド川。

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(M25戦車運搬車、愛称はドラゴンワゴン)
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(ダムに架かるこの橋をドラゴンワゴンは通行できない)

ジェレミー・レイ氏が語る。
『UFO墜落現場での分析は危険だと判断されたため、UFOはM25戦車運搬車に積み込まれました。愛称はドラゴンワゴンと言って、第二次大戦で戦車を運んだ車両です。移動に際して巨大なUFOを積んだ戦車用の運搬車は、フーバーダムという難関に挑まなければなりませんでした。ダムを渡ることが出来る車両の重量制限は1トン、この運搬車は40トンです。運搬チームは、大きな問題に直面します』

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(橋ではなく暗闇のコロラド川を渡る計画は無謀)

運搬チームは計画を変更し、コロラド川を経由してUFOを運搬することを思いつく。夜中にUFOを牽引して川を渡るという無謀な計画だ。まずUFOを乗せた巨大なM25を、イカダのような大きな荷船に乗せる。2隻の船を使って川にガイドケーブルを渡し、その後荷船をケーブルにつないで引っ張るという計画だ。このすべての作業を真っ暗闇の中で行うわけである。

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(岸から岸へケーブルを渡して荷船で運搬する計画)

ドワイト・エクイツ氏が語る。
『非常に難しい作業でしたが、彼らはN25を荷船に乗せることに成功します。ですが、ガイドケーブルに沿って川を渡ろうという時、予想外のことが起こります。ケーブルが切れ、UFOを乗せた荷船がコロラド川をフーバーダムに向かって下って行ったのです』

M25運搬車とUFOを積んでいた荷船は、フーバーダムの側面に衝突した。

UFO歴史家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『軍の指令が出されることとその指令を実際に遂行することとは、まったく次元が違うのです。深刻な被害が無かったのは奇跡でした。結局再度ケーブルを取り付け、運搬車は向こう岸に到着しました』

SOM1-01マニュアルには、UFOをトラックで運搬するようにとの指示があった。しかし、近年の回収作業には変化が見られるようだ。UFOの運搬方式は、さらに発展したのである。

ケース7;カリフォルニア州ニードルズUFO墜落事件
2008年、春。小規模な部隊が、カリフォルニア州ニードルズに近づいていた。

MUFONペンシルベニア州局長のジョン・ベントレ氏が語る。
『2008年5月14日。青緑色に光る物体が空を横切り、近くの山腹に墜落したとの通報がありました。そのすぐ後に、軍のヘリコプターが周辺を捜索しているとの知らせもありました』

だが、軍の勢力はヘリコプターだけでは無かった。

MUFONバージニア州調査委員長のベン・モス氏が語る。
『その時、地元ニードルズのラジオ局に勤めるデビッド・ヘイズは、町のすぐそばの道路を車で走っていました。彼は、軍の後衛部隊が衝突現場の方へ向かうのを見ました』

間も無く軍は探していた物を見つけ出し、その回収作業に移った。

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(上下ともイメージ)

ベン・モス氏が、続けて語る。
『目撃者によると、ヘリからは巨大なフックがぶら下がっていました。UFOを発見すると、ヘリがこれを空中に引き上げたのです。UFOは布のような物で覆われていましたが、それでも運び去る際に光っていたと目撃者は言っています。運搬されるUFOの光が、地面を照らしていたというのです』

ニードルズの住民が目にしたのは、新たに採用されたUFOの運搬方式なのだろうか?

ドワイト・エクイツ氏が語る。
『SOM1-01は、年々更新されています。技術が進化しUFOに関する知識が増えるにつれ、対処法も変わらなければなりません』
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
UFOがいつどこに墜落するかは、まったく分からない。だが、どこへ墜落しようとも素早く現場へ急行し、小さな部品1個まで一つ残らず回収して宇宙人のテクノロジーを研究するアメリカ人の最終目的とはいったい何か?
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