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宇宙人を探す・1 [UFOと宇宙人26]

2015年7月20日、イギリスのロンドン。王立協会は、理論物理学者のスティーブン・ホーキングや地球外知的生命探査(SETI・セティ)の設立者フランク・ドレイクなどの科学者たちが参加するプロジェクトを発表した。ロシア人の大富豪ユーリ・ミルナーが指導する「ブレイクスルー・リッスン」である。

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10年という期間と一億ドルが費やされるこのプロジェクトは、地上最大規模の範囲で宇宙の通信を傍受し、地球外生命体を探すことを目的としている。年間数千時間、北アメリカとオーストラリアの電波望遠鏡で受信したデータを分析して、太陽系の彼方からの電波信号を探索すると言う。

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(電波望遠鏡を使って宇宙からの電波を傍受)

天体物理学者のコートニー・ドレシング女史が語る。
『このブレイクスルー・リッスンというプロジェクトが画期的なのは、膨大な数の星を調査するだけで無く、これまでの十倍に及ぶ範囲で探査が行なわれるからなんです。ある時期から、地球外生命体の存在について見解が一致したのだと思います。今は宇宙を観測して、生命を維持できる惑星を科学的に探し出すことが可能になってきました。地球外に生命体が存在する見込みが高いことも、解ってきているんです』

ブレイクスルー・リッスンは、主流の科学者達が地球外の知的生命体を探す目的で立ち上げた初の一大プロジェクトだ。会見の中で、スティーブン・ホーキングはこう述べた。
【はてしない宇宙には、他の生命体がいるはずだ。この何よりも大きな謎の答えを、探すべき時が来た】と。

新プロジェクトの立ち上げは価値のあることだが、地球外に生命の存在を探す試みは長年続けられてきた。1947年頃に起きた一連の出来事によって、アメリカ政府による宇宙人探しが始まったと、

ジャーナリストのリンダ・ハウ女史は語る。
『1947年に、警察や空港に少なくても800件の報告が寄せられたというデータが残っています。人々が、得体のしれない飛行物体を見たと言ったのです。中でも重要なのは、ワシントン州のレイニア山付近で起きた事件でしょう。これは世界中で報道されました』

作家のニック・レッドファン氏が語る。
『1947年6月24日、実業家のケネス・アーノルドが自家用機で飛んでいた時のことです。レイニア山の近くにさしかかると、突然目の前を正体不明の奇妙な飛行物体の一群が飛んで行ったと言います』

MUFON代表のジャン・ハーザン氏は語る。
『二つの山頂の距離からその奇妙な飛行物体の速度を算出すると、時速1900~2700キロだったそうです。その時代、時速1000キロを超える航空機はありませんでした。間違いなく、地球で作られたモノでは無かったのです。アーノルドは後に、その飛行物体は平たい形で、水面を跳ねる皿のような飛び方をしていたと説明しました。
 そこから、空飛ぶ円盤という言葉が生まれたのです。アーノルドの目撃報告から数日以内に、アメリカ北西部で同じような飛行物体を見たという報告がさらに20件もありました。それがきっかけとなり、何百もの報告が殺到したのです』
*MUFON(ムーフォン)とは、1969年にアメリカで設立されたUFOの民間調査組織のこと

そうした目撃報告からわずか二週間後に、有名なロズウェル事件が起きた。だが、軍当局の宇宙人探しに拍車をかけたのは、その一日前に起きたUFO遭遇事件だったという。

前出のMUFON代表のハーザン氏が続けて語る。
『1947年7月7日、ミューロック陸軍飛行場と呼ばれていたエドワーズ空軍基地で、J・C・ワイズ少佐が試作戦闘機の離陸準備をしていると、周りの人々が遠くの空を見上げていることに気付きました。見ると、上空およそ三千メートルの所で、直径2~3メートルの黄色く光る物体が回転していたと言います』

作家のマイケル・バラ氏が語る。
『そのあと将校たちは全員、UFOらしき飛行物体を見たかどうかを調査票に記入させられ、目撃した物や調査票に書いた内容は口外しないよう、指示されたのです』

前出のレッドファン氏が語る。
『1947年の夏までに膨大な数のUFOの目撃報告が軍に届いたことから、ライトフィールド基地(ライトパターソン基地の西半分のこと)のネイサン・トワイニング中将は、すべての目撃報告を集めるための新たな体制を作りました。その結果、アメリカ軍の中に「プロジェクト・サイン」というUFO研究プロジェクトが設置されたのです』

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1948年1月22日。アメリカ政府は、UFO現象を研究する極秘プロジェクトの設置を初めて許可した。それが、「プロジェクト・サイン」である。

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(世に有名なプロジェクト・ブルーブック)

作家のウィリアム・ヘンリー氏が語る。
『チーム・プロジェクト・サインは目撃されたUFOが本物であると主張し、地球外から来た可能性を示唆しました。ところが、軍の上層部がその報告書を修正して「プロジェクト・グラッジ」に名称変更した後、最終的には「プロジェクト・ブルーブック」になりました』

前出のレッドファン氏が語る。
『空軍は、UFO現象が本物だという証拠や、国の安全を脅かすものである証拠が無いという理由で、プロジェクト・ブルーブックも廃止しました。1948年から1969年までに、アメリカ空軍は12618件の目撃報告を集めましたが、そのうちの701件はいまだに解明されていません』

空軍当局は、地球外の飛行物体が存在する明確な証拠が見つからなかったと報告しているが、プロジェクト・ブルーブックに参加した重要人物は異論を唱えている。その人物とは、オハイオ州立大学の物理学部及び天文学部の教授J・アレン・ハイネック博士だ。彼はプロジェクト・グラッジとプロジェクト・ブルーブックの科学顧問だった。

前出のMUFON代表・ハーザン氏は語る。
『空軍の科学顧問に就任した当初、ハイネック博士は純粋に疑念を抱いていました。UFO現象はバカげている、と考えていたほどです。ところが、研究に深く関わり、戦闘機のパイロットのような信頼できる目撃者たちから話を聞くうちに、UFO現象は無視できないと悟ったのです。
 後年、ハイネック博士はUFO現象に関する見解を変え、二つのことを語りました。空軍は、まるで強制されているかのようにUFOに関するあらゆる目撃情報に関して答えを出そうとしていたこと。そして、自分は、非常に信頼できる目撃者の証言によって、UFOが本物だと信じるようになったこと』

その間、UFO研究者や学者たちは、情報公開法を利用してプロジェクト・ブルーブックの情報を入手しようと試みた。だが、目撃者の名前などの個人情報が黒く塗りつぶされており、さらなる調査は妨げられたという。

前出のヘンリー氏は語る。
『UFOの目撃報告が機密扱いにされているということは、アメリカ政府の上層部やそれ以上の権力者は、地球外生命体が人間社会に介入していることを認識している可能性があります。過去60年間、隠ぺいされてきたのではないでしょうか』

プロジェクトが極秘にされているのは、J・アレン・ハイネック博士の驚くべき主張が真実だからなのか。地球外の飛行物体との接触は、一般市民に知らされてはいないのか。古代宇宙飛行士説の提唱者たちは、そのとおりだと言う。そして、人類は遥か昔から、宇宙人とコンタクトして来たと主張する。
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あるスジの話では、宇宙人の存在を人類に知らせるには段階を踏む必要があるとしている。人類にはその準備がまだできていないため、宇宙人に関する情報は公開されないのだと言う。国連には、宇宙人がコンタクトしてきた場合に活動する部署がすでに存在するという。これは、宇宙人が存在することを認めているようなものである。人類に必要な段階とは、いったい何だろう。
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宇宙人を探す・2 [UFOと宇宙人26]

2016年1月28日、ドイツ・ベルリンのフンボルト大学。天文考古学者のマチュー・オッセンドライバーは、真に驚くべき発見をしたと発表した。二千年ほど前、古代都市バビロンに住んでいた天文学者たちが高度な方程式を作り、木星の動きを追っていた証拠が見つかったというのだ。

天体物理学者のコートニー・ドレシング女史が語る。
『現代の天文学者が太陽系の現象を検証する時、相対性理論などを考慮した非常に複雑なコンピュータ・プログラムを使用します。私達は、古代の天文学者に現代人と同じ計算ができるとは思いませんでした。バビロニア人が、金星の見える時期や季節ごとに見える星座を予測していましたが、木星の動きを高度な方法で算出していたことは予想外だったのです。

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 彼らは、ある夜の空に出ている木星の位置をグラフに点で記入しました。グラフの横軸は時間、縦軸は位置を示します。次の夜以降も、同じように木星が見える位置をグラフに記入していきます。そのあと、点と点を結んでできる台形を使って、木星の動きを計算したのです』

なぜ古代のバビロニア人が、ニュートンによって17世紀に確立されたと言われる数学的概念を理解していたのだろうか。そして、なぜ彼らは、木星の正確な位置を気にかけていたのだろうか。その惑星は重要な神の一人、マルドゥクと結びつけられていたという。

資料館館長のジョナサン・ヤング氏が語る。
『古代バビロニアの最高神は、マルドゥクでした。この神は、木星と関係していました。マルドゥクには、旅立ちと帰還に関する壮大な神話があるのです。古代バビロニアでは、なぜ木星をマルドゥクという神に結びつけるほど重要だと考えていたのでしょうか。マルドゥクは木星から地球へ来た神で、いつか戻ると信じられていたのかもしれません』

現代のブレイクスルー・リッスンのように、古代の様々な文化において、宇宙の研究が進められていた。

前出のヤング氏が語る。
『地球のあちこちに、石で出来た天体観測所があります。それらは天体や天文現象に合わせて配置された石の構造物なので、古代の人々はそのような場所を使って、天体に関する研究を深めていったと考えられます。現代の科学者を魅了しているのは、古代の人々が石を正確に並べていることや、世界中の石の天体観測所がどれもよく似ていることです』

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(上から見たストーンヘンジ)

出版編集者で、古代宇宙飛行士説論者のジョルジョ・ツォカロス氏は語る。
『古代の天体観測所は、一か所だけではありません。巨石を使って築かれた構造物は、世界中に少なくとも10か所存在していることが判っています。もっとも有名なのは、ストーンヘンジでしょう。それらの天体観測所はすべての星ではなく、特定の星の動きを追うために使われることが多かったのです。

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(横から見たストーンヘンジ)

 その星とは、オリオン座やシリウス星、プレアデス星団です。なぜ、それらの星を追っていたのでしょうか。巨石の天体観測所には、プレアデス星団やシリウス星やオリオン座から何者かがやってきて、私達の祖先に知識を授けたという伝説が結びついているのです。天体を観測するということは、私達の本能的な行動なのでしょう。同じ種の地球外生命体が、すべての古代文明を訪れたのだと思います』

バビロニアをはじめとする古代文明は、地球外生命体からの合図を求めて、天体を観測していたのだろうか。そうだとしたら、彼らは地球外生命体とコンタクトしていたのか。

古代人が取り付かれたかのように星の動きを追っていたのは、彼らが宇宙人を探していた証なのか。そうだとしたら、数百年あるいは数千年前に宇宙人とのコンタクトがあったということなのか。そして、古代の石の天体観測所は、現代の宇宙人探しに大発見をもたらすのだろうか。
(つづく)


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太陽系の中で、木星は大きさ、質量ともに最大の惑星である。太陽を直径 1 m の球とすると、木星は約 560 m 離れたところを周回している直径10cmの球となる。公転周期は11.86年で、ガリレオ衛星と呼ばれる4つの衛星(イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)を持つ。英語でジュピターと言い、ギリシア神話の神ゼウスと同一とみなされるローマ神話の神ユピテル(ラテン語)を語源とする。その意味は、「天空の父たる神」または「日の父たる神」である。
これだけ内容のある巨大惑星である。古代人にとっては、気になる存在であったのだろう。

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宇宙人を探す・3 [UFOと宇宙人26]

1934年夏、アメリカのウィスコンシン州バロン。9歳のコーラル・ロレンゼンが、空を横切る平たい形の飛行物体を目撃した。それは音を立てずゆっくり北西の方へ動き、水平線のむこうに消えて行った。このわずか20秒の遭遇が、UFO調査の流れを永遠に変えることになる。

作家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『アメリカにおける初期のUFO研究者に、コーラル・ロレンゼンがいます。彼女は、UFO現象が話題になる1940年代よりも前にUFOを目撃し、生涯調査を続けました』

MUFON代表のジャン・ハーザン氏が語る。
『1951年8月。コーラルはグリーンベイ・プレス・ガゼット紙の記者となり、UFOに関する記事を書きました。すると、似た様な飛行物体を目撃した人々から、大きな反響があったのです』

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(コーラル・ロレンゼン女史)
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(彼女が夫と立ち上げたのがAPRO)

1952年。コーラルは、彼女の夫で元アメリカ陸軍航空隊の将校ジム・ロレンゼンと共に、初の民間UFO調査組織を設立した。空中現象調査組織、通称APRO(アプロ)だ。

前出のハーザン氏が続けて語る。
『コーラルは、UFO現象に関する空軍や政府の対応に失望していました。UFOが実在することを知っていた彼女は、調査を政府に任せるのではなく、民間の組織が必要だと考えたのです』

作家のニック・レッドファン氏が語る。
『ロレンゼン夫妻は、UFO現象を調査するには各分野から専門家を集めて組織を作り、目撃報告を検証して、その飛行物体の正体を探るのが一番だと考えました。最盛期には、APROの会員は三千人を超えていました。多くの会員が現場で調査し、情報を集めたのです。そうして、多数の信頼できるデータをまとめました。プロジェクト・ブルーブックやプロジェクト・サインをしのぐ成果を上げたのです』

MUFONの研究部長ロバート・ポーウェル氏が語る。
『APROは、UFO現象を現地で調査する初の民間組織でした。この組織の設立が突破口となり、他の組織も作られ始めたのです。そのうちの一つが、NICAP(ナイキャップ)でした。第二次世界大戦で誘導ミサイルを開発したことで知られるS・ファーニ少将がNICAPの設立に携わり、その会長となりました。
 さらに興味深いことに、CIAの長官を務めたH・ヒレンケッター少将も会員の一人だったのです。UFOが実在するかどうかを知るべき人物がいるとしたら、CIAの長官が真っ先に思い浮かぶでしょう。1960年に、ヒレンケッター少将は次の三つのことをはっきり述べています。
①UFOは実際に存在している
②ソ連の航空機ではない
③UFO現象の科学的な研究は不十分である 』

元CIA長官が、UFOは実在すると認めていたのか。ヒレンケッター少将は、地球外の宇宙船が地球に来ている確かな証拠を見つけたのかもしれない。彼が大胆な発言をしても、政府は信憑性の高い目撃報告は無いという姿勢を貫いた。だが、UFOの研究団体の数は増え続けた。

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1969年5月31日。APROのメンバーだったウォルト・アンドラスがミズーリ州とアイオワ州とイリノイ州のボランティアから成る調査組織を作った。州西部UFOネットワークとして始まったその団体は、のちに相互UFOネットワーク(MUFON・ムーフォン)と改名し、世界最大のUFO調査組織へと成長したのである。

元イギリス国防大臣のニック・ポープ氏が語る。
『現在MUFONには、何千人という会員がいます。州ごとに責任者が置かれ、アメリカ全土をはじめ、他の国にもたくさんの調査員がいるのです。MUFONはAPROとは方針が違い、州ごと置かれた支部の自主的な活動を認めています。支部が独自の会議を開催し、独自の研究プロジェクトを進め、現地調査も独立して行うことができるのです』

UFO研究家のクリストファー・チャコン氏が語る。
『UFO現象に関する人々の意識が変化したことで、そのような組織の人気が高まりました。UFOが異星人の乗り物かもしれないと知り、人々は空に飛行物体を探すようになったのです』

古代宇宙飛行士説では、宇宙人は人類史を通して地球を訪れていると考える。それなら、なぜ20世紀半ばになってにわかに人々が地球外生命体との遭遇の証拠を探すようになったのか。宇宙人自らが、人類に注意を向けさせるよう仕向けたのではないかという説もある。

前出のポープ氏が語る。
『コーラル・ロレンゼンはAPROを立ち上げ、ウォルト・アンドラスがMUFONを作ったことは、彼ら自身のUFOとの遭遇体験がきっかけとなっています。それは、単なる偶然ではないのかもしれません。ロレンゼンやアンドラスのような人物が、意図的に選ばれたとは考えられないでしょうか。偶然に思えるUFOとの遭遇も、何者かの意図が働いているように思えるのです』

地球外生命体は、人類の大部分にその存在を隠しているが、ある特定の個人を選び、彼らに大いなる真実を明らかにさせようとしているのだろうか。そうだとすれば、コーラル・ロレンゼンが最初に奇妙な飛行物体を目撃した1934年から、宇宙人は人類と再会するための計画を実行に移したのかもしれない。更なる証拠を求めて、地球外生命体とのコンタクトを試みる研究を詳しく調べてみよう。
(つづく)


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UFOをよく見る人物は宇宙人に選ばれているという意見には、同意したい。この広い空の下でUFOを見られる確率なんて、ちっぽけなものだ。それなのに写真や動画を撮ることができるのは、事前にUFO側から連絡(もちろん、本人には意識できない)が来て、無意識に用意をするからに違いないと思うのだ。

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