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MUFON発【政府の極秘マニュアル】2 [MUFON発/情報B]

MUFON(ムーフォン)とは、世界中のUFO目撃事件を調査・研究する民間ボランティアで構成される、政府とはしがらみの無い独立した組織である。米国に拠点を置き、正式名称はMutual UFO Network、日本語では「相互UFOネットワーク」と訳される。

MUFONは、これまでで最も衝撃的な公式文書の存在を突き止めた。SOM1-01(ソム・イチレイイチ)、墜落したUFOの回収手順を説明した政府の特殊作戦マニュアルである。UFO研究家の間では、このマニュアルの信憑性について意見が分かれている。そんなマニュアルの製作のきっかけとなったとされるのが、有名なロズウェル事件である。

ケース2;ニューメキシコ州ロズウェル事件《報道管制》
1947年7月上旬、ニューメキシコ州アルバカーキ。

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『リディア・スレッピーは、アルバカーキのラジオ局に勤務していました。彼女はテレタイプ担当で、ニュースを受信したり系列のラジオ局に記事を発信したりしていました』

MUFON調査員のジェレミー・レイ氏が語る。
『リディアのもとに、ロズウェルのラジオ局にいるジョン・マクボイルから電話がありました。ネットワーク向けに凄い特ダネがあると言うのです。リディアは電話でジョンの話を聞き、その内容をハリウッドのABCニュース本部にテレタイプで送りました。それは、「ロズウェル北部に空飛ぶ円盤が墜落した」という内容でした。リディアがニュースを打ち込んでいると、テレタイプがメッセージを受信したことを告げるベルが鳴りました。リディアは、端末に入って来たメッセージを手に取りました。そこには「FBIだ。今すぐ通信を中止せよ」とありました』

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(UFO墜落事件は公になった)

恐ろしくなったリディア・スレッピーは、FBIの指示通り通信を中断する。だが、事件を隠そうとした政府の試みは失敗に終わり、メディアはロズウェルの空飛ぶ円盤墜落事件を嗅ぎつけたのだ。

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(第3章・12項 報道管制)

歴史家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『ロズウェル事件はごく初期に起きたUFO回収事件ですから、報道陣にどう対応するかという具体的な決まりがありませんでした。このため陸軍は、気象観測用気球が墜落したというでっちあげの情報を流して、急場をしのいだのです。特殊作戦マニュアルの回収作業の部分を見ると、まず報道管制に関する事柄が書かれているのもうなずけるでしょう。ロズウェル事件での教訓が繁栄されています』

ロズウェル事件で経験した報道ミスを未然に防ぐため、SOM1-01では政府が墜落事件のもみ消しに失敗した場合の対処法についても明記されている。

リチャード・ドーラン氏が、続けて語る。
『マニュアルによれば、最初にすべきことは事件を否定することです。つぎに話したがる目撃者がいる場合、精神的に不安定だなどの理由を付けて、その人物の信用を傷つけるのです。それでも駄目ならばウソを並べます。あれは隕石だったと発表したり、目撃者を現場から一掃したいなら、有毒な科学物質が漏れだしたと言えばいいのです』

ロズウェル事件では、早期墜落事故においてまだ手順が整っていなかったことが路程している。だが、キングマンの墜落事故を見てみると、1950年代半ばには警備態勢を高めるため新しい手順が導入されたことが窺える。

ケース3;アリゾナ州キングマンUFO墜落事件《警備》
1953年5月、キングマンの墜落事故当日。アーサー・スタンセルは、現場から300キロ余り離れたネバダ核実験場で勤務していた。

リチャード・ドーラン氏が語る。
『スタンセルは、ライトパターソン空軍基地で働く空軍資材コマンドのエンジニアでした。当時彼は、ネバダ核実験場に出向していたのです』

スタンセルは極秘任務に呼び出され、他の15名の専門家と共に直ちにフェニックスへ飛んだ。フェニックスに到着すると、彼はすべての窓が完全に閉ざされたバスに乗り込んだ。

リチャード・ドーラン氏が、続けて語る。
『専門家たちは、極めて高度な実験的航空機が墜落し、その回収にあたるのだと知らされます。墜落現場に到着すると、全員が自分の専門分野に関することだけを調査し、それ以上のことは一切しないよう告げられました。極めて厳密に区分化された任務でした』

MUFONバージニア州調査委員長ベン・モス氏が語る。
『バスから降りたスタンセルを憲兵が誘導しました。大勢の警備員たちが、何かを遮る様に立っています。現場の照明がまぶしくて、周囲の状況はほとんど見えませんでした』

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(何かが地面に埋まっていた・イメージ)

リチャード・ドーラン氏が語る。
『何かが地面に埋まっていました。それは直径9メートル程の空飛ぶ円盤のような物で、50センチ程地面に埋まっているように見えました。彼に与えられた任務は一つです。それは、衝突の状況から物体が墜落した時のスピードを算出することでした。作業を終えたスタンセルは、結果を上に報告します。すると長い尋問を受け、すべての記録を没収されます。そして右手を掲げ、調べた内容を決して口外しないよう誓わせられたのです』

アーサー・スタンセルの証言によれば、キングマンの事故現場の警備は極めて厳重だったという。

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『スタンセルの説明から、当時の現場における作業の様子が非常によく伝わってきます。墜落現場で起きた出来事は、専門家のデータ分析に至るまで完全に区分化されており、誰も全体像をつかめていませんでした』

こうした区分化は、機密を守る上で極めて重要だと言える。だが、キングマンでの対応は、UFO墜落事故の初期段階の警備手順だったようだ。1年後、特殊作戦マニュアルが発行された時、その警備手順は変更されていた。

ドワイト・エクイツ氏が、続けて語る。
『公式文書SOM1-01では、現場での専門家による分析をあきらめたようです。現場状況を確認した後は、発見された物をすべて安全な極秘の施設へと移動させることになったのです』

マニュアルは何故、UFOを現場で分析するのではなく、出来るだけ早く移動するよう指示しているのだろうか?単に墜落した機体を世間にさらすことを防ぐためなのか?キングマン墜落事件におけるもう一つの複雑な要因が、予期せぬ危険な事態を招き、さらに万全を期する対処法へとつながった可能性がある。

ケース4;ニューヨーク州ロングアイランドのサウスヘブンパーク
1992年、感謝際の日。ロングアイランドのサウスヘブンパーク付近の住人が、飛行機の墜落を通報した。

MUFONペンシルベニア州局長のジョン・ベントレ氏が語る。
『1992年11月24日午後7時ごろ、ロングアイランドのハイウェイをバイクで走っていた人物が、サウスヘブンパークに飛行機が墜落したようだと通報します。他の住民達からも、空に不思議な光を見たとの報告がありました』

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(公園上空を軍のヘリが飛んでいた・イメージ)

ドワイト・エクイツ氏が語る。
『墜落の後、公園で火災が起きた様でした。消防士たちが駆けつけましたが、彼らは地元の消防団ではなく政府が管轄するブルックヘブン国立研究所の消防士たちでした。公園周辺の道路は地元警察によって封鎖され、連邦捜査官以外は公園内への立ち入りが禁じられていました。また、軍のヘリコプターが何機も公園上空を飛んでいるのが見えました。それから数日間、公園は完全に立ち入り禁止となったのです』

ジョン・ベントレ氏が語る。
『周辺住民は、墜落から五日間ほどは何度も電気の異常が起こったと述べています。しかし、これについて質問を受けた電力会社からは、停電などの異常は一切無かったと答えました。11月25日から28日まで公園が閉鎖されたことについて、当局は民間による鴨狩りが行なわれたためだと説明しました。鴨狩りなど、不自然でしょう。マニュアルの8ページ目をみると、現場の機密性を確保するため、虚偽の発表が必要になることもあると書かれています』

サウスヘブンパークでは、SOM1-01に記された警備態勢が極めて正確に実行されていたようである。

続けて、ジョン・ベントレ氏が語る。
『このサウスヘブンパーク事件では、連邦捜査官だけが現場に入ることを許された点も重要です。マニュアルの9ページ目に、地元の警察には非常線の設置や群衆の整理に関して協力してもらうが、墜落現場への立ち入りは禁じると書かれています。また、報告によれば、地元の消防士ではなく連邦政府の消防部隊が警備に当たったそうです』

厳重な警備は、機密を守ることだけが目的だったのか?何十年も前に起きたキングマン事件を掘り下げて調べるうち、もう一つの目的が見えてきた。それは・・・
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
連邦捜査局(FBI)は、司法省に属するアメリカ合衆国の警察機関の一つ。国内の治安維持を一手に担い、複数の州に渡る広域事件も捜査を担当する。事件内容によっては、どこにでも現れるのがFBIである。



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