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MUFON発【アメリカ大統領とUFO】プロローグ [MUFON発/情報D]

アイゼンハワーが1954年にミューロック飛行場で宇宙人と面会(ファースト・コンタクト)

1954年2月20日、カリフォルニア州パームスプリングスにドワイト・アイゼンハワー大統領が訪れていた。これは予定外の訪問だった。

ジョン・ベントレMUFON州局長が語る。
『その夜、アイゼンハワー大統領は休暇の為、パームスプリングスを訪れました。5日間狩りをして過ごした大統領は、特別な理由も無くパームスプリングスを訪れたのです。誰も知らされていませんでした』

そして午後10時頃、アイゼンハワー大統領が姿を消す。大統領はおよそ12時間、姿を消した。新聞に大統領が心臓発作で死んだという誤報が出るほど、混乱を招いたのだ。

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『しかし、翌日アイゼンハワー大統領は160キロも離れたロサンゼルスに現れます。そして、「歯が欠けた為、緊急手術をした」と言ったのです』

この時、大統領はパームスプリングスから車で2時間半ほどの所にあるミューロック飛行場、現在のエドワーズ空軍基地を訪れていたという報告が複数寄せられた。

前でのドワイト・エクイツ氏が語る。
『報告書によれば、ミューロック飛行場、現在のエドワーズ空軍基地では、1954年2月19日から21日の3日間、すべての離着陸を取り止めて基地を閉鎖したというのです。偶然にも、アイゼンハワー大統領が行方不明になった時期とピッタリ重なります』

アイゼンハワーは、ミューロック飛行場で何をしていたのか?

UFO歴史家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『それから2週間ほどして、ウワサが広がり始めました。なんと、アイゼンハワー大統領がその時面会していた相手は、宇宙人だというのです。このことは、フランク・エドワーズという人のラジオ番組で明らかになりました。何百万という人が、この話を聞いたことになります』

MUFONの資料によれば、この出来事には目撃者がいる。

ジョン・ベントレMUFON州局長が再び語る。
『我々の手元には、アイゼンハワー大統領が宇宙人と密約を交わしていたことを示すファイルがたくさんあるのです』

前出のリチャード・ドーラン氏が語る。
『大勢の人が主張しています。もちろん、真偽の程は解かりません。例えば、アメリカは宇宙人からなんらかの技術提供を受け、その見返りとして永久的に基地を置くことを約束しているとか』

前出のジョン・ベントレMUFON州局長が語る。
『ミューロックでの出来事があってから2カ月足らずのうちに、政府は「UFOについての一切の情報は国家安全に関わることであり、極秘である」という秘密政策を制定します』

いかなる状況においても、一般市民や報道関係者はこれらの実態を知ってはならない。政府の公式な見解は、それらの存在を認めないというものである

アイゼンハワーは、本当に宇宙人と面会したのだろうか。もしそうであれば、人類の歴史において極めて重要な行動ということになる。だが彼は、UFO問題に取り組んだ最初の大統領でも最後の大統領でもない。アメリカ合衆国の指導者は、UFOについてどこまで知っているのか。そして、アメリカ国民に何を隠しているのか。その答えを探るべく、MUFONの調査員たちの手によって、今ファイルが開かされる。
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ここで取り上げるアメリカ大統領は、第33代ハリー・トルーマンから第44代バラク・オバマまでの12人である。だが、その中でも初めてUFO問題に取り組んだトルーマンとアイゼンハワーは重要だ。ことの発端はすべてこの二人にある。続いてジョン・F・ケネディ、リチャード・ニクソン、ジミー・カーター、ロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュ(通称パパ・ブッシュ)、ビル・クリントンらを取り上げる。悲劇の大統領ケネディの経験こそが、のちの大統領たちがUFO問題をあばかない理由になっているという。

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MUFON発【アメリカ大統領とUFO】1 [MUFON発/情報D]

MUFON(ムーフォン)とは、世界中のUFO目撃事件を調査・研究する民間ボランティアで構成される、政府とはしがらみの無い独立した組織である。米国に拠点を置き、正式名称はMutual UFO Network、日本語では「相互UFOネットワーク」と訳される。

MUFON(ムーフォン)が保管するファイルの中に、1954年にドワイト・Ⅾ・アイゼンハワー大統領が極秘のうちに宇宙人とファースト・コンタクトを遂げたことを示すものがある。しかし、MUFONの調査によれば、アイゼンハワーはUFO問題に取り組んだ最初の大統領ではない。初めての大統領は、ハリー・S・トルーマンだった。

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(トルーマンはUFO問題を最初に隠蔽した大統領になった)

MUFON事務局長のジャン・ハーザン氏が語る。
『すべてのMUFONファイルを見返してみると、アメリカのUFO事件が隠蔽され始めたのはトルーマン大統領からでした』

ジョン・プットマン サンディエゴ州立大学教授が語る。
『ハリー・トルーマンは副大統領になってすぐ、フランクリン・ルーズベルトの死を受けて大統領となります。その数か月後、トルーマンは日本に原爆を落とすという決断を迫られます』

世界情勢が不安定なこの時期、トルーマンは他でもない自国で難しい問題に立ち向かうこととなる。

前出のジャン・ハーザン氏が語る。
『1947年の夏、ロズウェル郊外の農場にUFOが墜落します。これは、ロズウェル事件として世界中に知られています』

ロズウェル事件を通して、トルーマンはUFO問題に直面する最初の大統領となった。

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(ロズウェル事件の新聞記事)

MUFON州局長のジョン・ベントレ氏が語る。
『7月8日、空軍がUFOを発見したという記事が出ます。ところが7月9日の新聞には、あれは単なる気象観測用の気球だったという記事が載ります。メディアにとってはそれが終結ですが、UFO研究家にとっては政府によるUFO問題隠蔽の始まりでした』

当時アメリカは様々な難題を抱えていたため、トルーマンはUFO事件の隠蔽を選んだのだ。

UFO歴史家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『第二次世界大戦が終わってわずか2年。冷戦は始まったばかり。そんな時期にUFO事件が突然転がり込んだわけです。彼らはいったい誰なのか、どんな目的があったのかも知らず、人間ではないということ以外は何もわからないのです。分からないことだらけです』

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(「ワシントン・フラップ」のイメージ記事(上)、イメージ(下))

トルーマンの在任中、UFO目撃事件は続いた。そして1952年7月に、避けては通れない事件が起こった。トルーマンが退任する数か月前、ワシントンDCで何度にもわたり、UFOの目撃があった。「ワシントン・フラップ」と呼ばれる事件だ。

前出のリチャード・ドーラン氏が語る。
『この事件は非常に大ごととなり、ニューヨーク・タイムズの1面を飾りました。民主党全国委員会の記事よりも、優先されたんです』

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(イメージ)

ホワイトハウス周辺で複数のUFOが目撃され、トルーマンは強硬手段に出ることになる。

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続けて、リチャード・ドーラン氏が語る。
『空軍の戦闘機が出動し、交戦しました。トルーマン自ら、「撃ち落とせ」という命令を下したと言われています。大統領直々に命令が下ったことは、UFO事件の歴史においてきわめて重大です』


MUFONの資料によれば、ワシントン・フラップの目撃者はあまりにも多く、トルーマンは調査委員会を設置せざるをえなかったという。

UFO歴史家のグラント・キャメロン氏が語る。
『ロバートソン査問会が、設置されました。これはUFO事件が起きた時、その取扱い方法や対処法を決めるCIAのグループです。査問会の結果、UFOに対する興味をそぐよう国民を教育するとともに、民間のUFO研究団体を監視することが推奨されました』

国民のUFOへの関心をコントロールするという政府の手法が、ロバートソン査問会で肯定されたのだ。

さらに、リチャード・ドーラン氏が語る。
『つまり、ロバートソン査問会はUFO問題の隠蔽を正当化したのです。それにより、機密情報はさらに覆い隠されることとなります。そのころ、トルーマン大統領の任期は終わりに近づいていました。彼は最後に、UFOに関する大事な仕事をしたわけです』

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(アイゼンハワー大統領はトルーマンからUFO問題隠蔽を引き継いだ)

国民がパニックに陥ることを懸念したトルーマン大統領やアイゼンハワー大統領は、自らの経験に基づき秘密政策を打ち出した。だが、UFOが第三次世界大戦を招きかねない危機に直面したジョン・F・ケネディ大統領は、別の政策を取った。ケネディが決して実行することの無かった「極秘の命令」が、いま明かされる。
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 「ロバートソン査問会」について
CIA(アメリカ中央情報局)は、UFOの危険性を評価するための会議を1953年1月に行うことを決定した。会議はカリフォルニア大学のH.P.ロバートソン博士が議長を務めたため、「ロバートソン査問会」と呼ばれた。会議には複数の科学者、空軍、CIAのメンバーが参加した。
査問会によるUFO研究の結論は、「UFOは国家安全保障に対する直接の脅威は示していない」「UFO報告に価値ある科学的データは含まれていない」「UFO報告は集団ヒステリを発生させ、社会的潜在的脅威を生み出す」といった内容であった。(この査問会で調査されたUFO報告数は、少数であった)
この査問会を基にして委員会は、「UFOは既知の物体だと意識しやすくなるように大衆を教育すること」「民間のUFO研究団体を警戒すること」などの勧告を出した。またUFO報告には潜在的脅威があるため、空軍は入手したUFOに関する情報の機密保持を強化することが示された。

CIA(アメリカ中央情報局)とは、1947年にアメリカの国家安全に関わる情報を集める機関として設立されたアメリカ国内における独立組織である。


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MUFON発【アメリカ大統領とUFO】2 [MUFON発/情報D]

MUFON(ムーフォン)とは、世界中のUFO目撃事件を調査・研究する民間ボランティアで構成される、政府とはしがらみの無い独立した組織である。米国に拠点を置き、正式名称はMutual UFO Network、日本語では「相互UFOネットワーク」と訳される。

MUFON(ムーフォン)が保管する7万件に及ぶファイルの中には、アメリカ歴代の大統領たちが知り得たUFOや宇宙人に関する真実が眠っている可能性がある。トルーマンやアイゼンハワーは秘密を守るために分厚い壁を作ったが、その後の大統領たちはそのシステムを維持することに難しさを感じていた。

ケースファイル1;ジョン・F・ケネディ 冷戦の危機(1961年~1963年)
MUFON州局長のジョン・ベントレ氏が語る。
『ジョン・F・ケネディは、UFO史における重要人物です。彼の経験こそが、昨今の大統領たちがUFOの秘密を暴かない理由なのです』

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(第35代アメリカ合衆国大統領)

サンディエゴ州立大学教授ジョン・プットマン氏が語る。
『彼は冷戦のさなかに大統領を務め、キューバ危機や宇宙開発競争においてソ連と対立しました』

1961年11月5日。ケネディ大統領が、ある知らせを受けた。ソ連のレーダーシステムが、UFOを含めた一部の航空機を認識できなくなっているというのだ。この不具合が、第三次世界大戦を招くのだろうか。

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(CIA長官アレン・ダレス)

UFO歴史家のリチャード・ドーラン氏が語る。
『ケネディは、これについてCIA長官のアレン・ダレスと常に話しあっていました。ダレスの話では、CIAはすでに「デコイ装置(おとり装置のこと)」をソ連領空へ送り込み、ソ連のレーダー機能を試しているとのことでした。テストによれば、ソ連はUFOとその他の航空機や弾道ミサイルとの区別が付けられないらしいのです。このため、ソ連がUFOをアメリカからのミサイルと誤認し、核攻撃に踏み切る可能性がありました』

ケネディは、冷戦の相手国であるソ連と話し合いを持つことにした。もちろんソ連と同盟を結ぶわけではないが、ともに話し合い、誤って戦争を起こすという悲劇を避けなければならなかった。

前出のジョン・ベントレ氏が語る。
『1961年から1963年の間に、ソ連とどんな話し合いがあったのかは判りませんが、1963年に興味深いことが起こります』

1963年11月11日、ソ連は無人の宇宙船を打ち上げるが、地球の軌道から抜けられなかった。ソ連が打ち上げた無人宇宙船コスモス21は、そのミッションがいまだに明らかになっていない。何かと謎の多い宇宙船であった。

UFO研究家のドワイト・エクイツ氏が語る。
『打ち上げ失敗の翌日、ケネディは「国家安全保障決定覚書(おぼえがき)」を発行し、NASAにソ連の宇宙開発と協力するよう求めます。さらにCIAに対しても、ソ連とUFOに関する機密情報を共有するよう命じたのです』

コスモスのミッションの真相は解らない。解っているのは「ある悲劇」が起こり、ケネディの命令は実行されなかったということだ。

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(日本の記念すべき最初の衛星中継がケネディ暗殺事件であった)

続けて、ドワイト・エクイツ氏が語る。
『ケネディが「覚書」を発行したのは、1963年11月12日です。そのわずか10日後、ケネディは暗殺されます』

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(ケネディ大統領 国葬の様子)

ケネディの暗殺は、彼がUFO情報をソ連と共有しようとしたことと関係があるのでは、と主張する者もいる。

前出のリチャード・ドーラン氏が語る。
『ケネディは当時、UFO問題を含めた様々な政策を通じて、国家安全対策を担う他の高官たちと対立的立場にあったようです』

ケネディ大統領の死により、ソ連とのUFO情報共有は果たされなかった。しかし、MUFONの資料によれば、その後もUFO事件は冷戦中の両国で混乱を引き起こし、アメリカとソ連に危機一髪の事態をもたらすことになる。

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ケースファイル2;1967年 マルムストローム空軍基地 UFO目撃事件

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(イメージ)

前出のリチャード・ドーラン氏が語る。
『1967年3月16日、モンタナ州マルムストローム空軍基地でとんでもない事件が起こりました。この空軍基地では、広大な面積を持つ発射場にたくさんの「ミニットマン核ミサイル」が点在していました。発射制御センターもありました。問題のこの日、多くの地上従業員たちが赤く光った物体を目撃します。その物体は、上空の非常に低い所を飛んでいました。彼らは、地下の司令部に電話をかけました。

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(イメージ)

電話に出たのは、ロバート・サラスという中尉です。サラス中尉は電話を受け、上官に相談しようとしました。すると、すべてのミサイルが機能停止となり、ミサイル制御盤のライトが次々と点滅しました。大勢の地上従業員がUFOを目撃し、その直後にミサイルが機能を停止したわけですから、関連性があると考えるのが自然です。似たようなことは、ほかにもありました』

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(ニクソン(左)とブレジネフ書記長が国際協定締結)

その後、ソ連やアメリカの核ミサイル基地を混乱させるUFO事件は、リチャード・ニクソン大統領の在任中に何度も起きている。そして、ケネディ同様ニクソンも、こうしたUFO事件が誤って敵国のミサイル発射を引き起こすことをおそれた。1971年、ニクソンとソ連のブレジネフ書記長は、この事態について国際協定を交わした。

続けて、リチャード・ドーラン氏が語る。
『この年、協定が締結されました。核戦争の勃発を最低限に抑えることを目的としています。その情報の中で、万が一、未確認飛行物体が自国の物では無い場合、それを相手国に伝える方法について明確に定義されているのです』

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(第37代大統領ニクソンはアイゼンハワー政権で副大統領であった)

ニクソンとブレジネフの協定により、誤って核戦争が引き起こされる危険は格段に小さくなった。だが、MUFONの資料によれば、ニクソンはUFO問題についてより多くを知っているという。
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
何一つ判明したものの無い「ケネディ大統領暗殺事件」の背景には、アイゼンハワーが面会したとされる宇宙人との取り決めが関係しているというウワサがある。ケネディは宇宙人との取り決め内容を暴露しようとして、暗殺されてしまったというのだ。つまり、ケネディ暗殺事件は、大統領よりもさらに強い権力を持つ組織がアメリカ国内には存在していて、大統領といえどもその組織の方針に逆らうようなことをすれば「死」が待っていることを暗に示しているというのである。
その組織【マジェスティック12】は、名称を変え人を変えて、今も存在しているらしい。アイゼンハワーが組織したこの【MJー12】はCIAやNASAの一部職員が関係しているらしく、たとえ大統領命令であってもUFO問題についての協力は決してしない。だから、大統領候補者が「当選したらUFO問題を明らかにする」と言っていても、大統領に就任した瞬間に協力を拒まれ、UFO問題を明らかにすることの困難さを痛感して発表を控えることになるのだ。

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