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見守る者達・4 [UFOと宇宙人29]

マルケサス諸島ヒバ・オア島の北東に位置するイイポナ遺跡。この土地を案内するのは、地元の考古学ガイドのヒマタ・ボノ氏(以下Bと記す)である。彼はジョルジョ氏(G)とデビッド氏(D)に、両手に6本ずつ指があるティキが数多くあると説明した。彼によると、島の先住民たちはティキと呼ばれる神々が「マナ」という不思議な力を持っていると、信じていたという。先住民がこの力を取り込むと、無敵なパワーが授かると言われていた。

D;『なぜティキにはマナがあったんですか?どうやって手に入れたんでしょう?』
B;『マナというのはティキの中、または人間の中に宿るものです。昔は戦をすると、勝っ
  た部族の長がマナを吸収したものをすべて食べるという生け贄(いけにえ)の儀式があ
  ったのです』

マナを食べるとは、つまり食人の儀式があったということだろうか?マルケサス諸島の先住民たちには、聖なる力を宿した人物を食べる習わしがあったというのか?

G;『マナはどこに宿るんですか?』
B;『目、舌、肝臓、脳、心臓です』
D;『つまり、目とか舌とか脳を食べると?』
B;『我々の祖先は、人肉を主食としていたわけではありません。日常的に食べていたので
  はなく、儀式に必要な時だけです』

マルケサス諸島の先住民たちは、ティキという神々の持つ聖なる力「マナ」を、体内に取り込むことが出来ると信じていたのだろうか?だとすれば、マルケサス諸島の人々はティキだけでなく、その子孫の臓器も欲しがったのではないか?7人の兄弟がマナを持っていたとすれば、彼らは身を守るためにイースター島へ逃れたのかもしれない。

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(重い玄武岩を積み重ねて出来ている土台)

D;『ここにある岩は玄武岩ですよね。玄武岩はとても重たい。ポリネシアやミクロネシア
  には、大きな石が空中に浮かんだといった伝説があるのですが・・・』
B;『いいえ。ここは人が暮らす島です。祖先は、力が強かったんです。石や岩を担いで運
  んでいました』
D;『でも巨人でもない限り、こんな重たい石を担いで運ぶのは無理でしょう?』
B;『実は山頂にある洞窟の中から骨が見つかったのですが、とても長い骨だったのです』
G;『驚きだ・・・』

巨人の骨だろうか?そんなものが、マルケサス諸島の洞窟に?これこそ、ジョルジョ氏とデビッド氏が探し求めていた答えだ。イースター島の住民は、人間と宇宙人との間に生まれた巨人だという可能性。自分達と同じ巨人が住む島から追放され、新しい島でかつての暮らしを忍び、海を見守る巨石像(モアイ)を作ったのでは?

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(サルデーニャ島の巨人像)

ジョルジョ氏は次のように語る。
『巨人の伝説は、世界中にあります。マルタ島には、巨人によって作られたと語り継がれているヨーロッパで最も大きな遺跡が存在します。巨人というのは、神々が人間の女性と結ばれ、その結果生まれた子孫たちです。サルデーニャ島にも、巨人の物語があります。この巨人たちの起源は、地球外生命体ではないかとも考えられています。聖書にも、巨人は天使と人間の女性が結ばれて生まれたものだと記されています。その子孫が巨人たちなのです』

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(7体の巨石像、アフアキビ)

デビッド氏の考えはこうだ。
『イースター島の7体の石像は、巨人だったのでしょうか?半分宇宙人、半分人間だったのでしょうか?7人の兄弟がマルケサス諸島から逃げ出したのは、特別な力を持つ指導者だったからです。その力ゆえに窮地に立たされ、イースター島へと向かったのでしょう』

ジョルジョ氏とデビッド氏は現地ガイドのヒマタ・ボノ氏にお礼を言って、彼と別れた。

マルケサス諸島の7人の兄弟は、宇宙人とヒトとの間に生まれた巨人だったのだろうか?
彼らは地球外生命体の技術を使うことができた為、島の人々から王、又は神として崇められていたのか?

もしそうだとすれば、兄弟たちがマルケサス諸島を離れたのは内輪の争いが原因では無く、先住民たちに命を奪われることを恐れ、身を守るためだったのかもしれない。古代宇宙飛行士説の提唱者は、おそらくそうだろうと言う。その答えを探るため、イースター島の巨石像たちをさらに掘り下げてみることにしよう。石像本体ではなく、その頭に被っている物に謎を解くカギがある。
(つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
偶然にもこの記事を書いている時に、NHKーBS放送でマルケサス諸島への紀行番組をやっていた。当然、ティキの話が出た。以下に、番組内で交わされた島のガイドG氏と訪問者H氏の会話を記す。

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G;『これがタカイイです。ポリネシア最大のティキです。高さは2m65あります』
H;『タカイイとはこの地域を治めた王であり、勇敢な戦士でもあった人物。亡くなったあ
  と石像に祭られ、神となった』
G;『スペイン人がやって来た時、マルケサス人が非常に長身だったと記録しています。ス
  ペイン船の中で最も長身だった人が2m09あったのですが、マルケサス人はその人より
  頭一つ大きかったと書かれています。マルケサスの戦士は、非常に大柄だったのです』

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(タカイイ像の大きさが分かる)

H;『(タカイイ像の股間を指差し、日本人スタッフに向かって)これ、実際はちゃんと有
  ったんですって・・・』
G;『イギリス人が、タカイイに付いていた男性のシンボルを切り落としたんです。島中の
  ティキすべてのも。彼らには衝撃的だったのでしょう。イギリス人宣教師が、全部切っ
  てしまったのです』

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(マァキ・タウア・ペペ=受胎の女神像)

ガイドは、もう一つ別のティキを見せるためにH氏を促した。そのティキの姿は、まるで和便器にまたがったような姿をしている。

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G;『これは出産している女性のティキです。子孫繁栄のティキです。(和便器にまたがる
  ような恰好をして)当時はこうやって出産していましたからね。このティキには特別な
  物が描かれているんですよ。これを見てください』
H;『(側面を見て)ラマじゃない?』
G;『そう、ラマです。これはイースター島を越えて、南米まで交流があったという証拠で
  す』

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(側面に彫られたラマの彫刻)
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ラマは、南米アンデスなどで古くから飼われてきた家畜だ。マルケサスの人々は、南米大陸の存在を知っていたということになる。このラマが刻まれたのは、およそ千年前。驚いたことに、大航海時代を迎える数百年も前のことだ。その時代、すでにマルケサスの人々は巨石文化が栄えたイースター島を越え、はるか数千キロ彼方の南米大陸と交流していたというのだ。ところが、当時のヨーロッパ人たちにはその知恵も文化も理解できず、神の像は傷つけられていったのだ。

神の像ティキ作りを代々受け継いできた職人が島に住んでいると聞き、ガイドと共に向かうH氏。入り江を見渡せる丘の上に、その家はあった。彫刻家フヒナ・マヘアテテ(M)氏が出迎えてくれた。

M;『カオハ(こんにちは)、マヘアです。子供たちに伝統彫刻を教えています』

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挨拶のあと、H氏はさっそく伝統彫刻を見せてもらうことに。マヘア氏が作った木彫りのタカイイのティキには、男性のシンボルが付いていた。

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(島中のティキには男性のシンボルが付いていたという)

H;『(男性のシンボルを指して)あー、やっと出会えた!』
M;『本来の姿に戻しました』

マヘア氏は、タカイイの石像ティキを作った職人の子孫にあたる。今マルケサスで、タカイイ同様の大きなティキを作れる技術を持つのは、マヘア氏だけだ。



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