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恐竜絶滅の謎・2 [UFOと宇宙人28]

6500万年前の地球。直径およそ13キロの小惑星が秒速20キロメートルで地球に突進し、現在のユカタン半島にあたる地域に衝突した。そのエネルギーは、TNT火薬1億メガトン相当だという。この大惨事によって地球の気候と地形に変化がもたらされ、恐竜の時代が終わりを迎えることになったというのが、学界の見解である。

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カール・セーガン・センター所長のデビッド・モリソン氏が語る。
『隕石は直径15キロ前後だったと思われます。この衝突によって大地は深くえぐられ、粉塵が大空高く巻き上げられて、数か月あるいは数年に渡って地球は闇で覆われたと考えられています。太陽光は遮られ、植物のように光合成をおこなう生物は枯れ始めたことでしょう。そうして食べ物を失った草食恐竜は次々と死に、それをエサにしていた肉食恐竜も死に追いやられたのでしょう。この現象が五年から十年ほど続いたと思われます。どれほど生き続けたのかは、はっきりとはしていません』

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(古代マヤ文明の都市遺跡チチェン・イッツア)

恐竜の中には、この天変地異を生き残った種がいたとは考えられないだろうか。そして、その後長い年月に渡って繁栄を続けた可能性は無いだろうか。巨大な小惑星が衝突したクレーターの付近に、手がかりが見つかるかもしれない。そこは、ユカタン半島の中心部に当たる。そして、クレーターの中心から150キロ足らずの所には、古代マヤの遺跡の中でもとりわけ大きく保存状態もよい都市遺跡チチェン・イッツァがある。

作家のデビッド・チルドレス氏が語る。
『恐竜の絶滅を引き起こした巨大隕石の衝突という大災害が起こった土地が、古代マヤ人にとっての主要な居住地と同じ場所であったということが、はたして偶然の一致と言えるのかどうか、私達は考えてみるべきではないでしょうか』

作家のフィリップ・コパンス氏が語る。
『チチェン・イッツアは、マヤが神と交信した場所と言われています。メキシコ湾周辺にこれだけ土地があるのに、マヤが選んだのが6500万年前に何かが天から降って来た場所ということが、偶然にしては出来過ぎのように思えるのです。そして、神や天と交信するという概念は、つい最近までマヤの人々が持ち続けた信条でもあります。これが偶然でないとすれば、何らかの意図があるはずです。この可能性についてはほとんど研究がおこなわれていないのが現状ですが、詳しく検証されるべきだと私は思っています』

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(マヤ文明の都市遺跡ボナンパクにこんな壁画が・・・)

また、作家のデビッド・チルドレス氏はこのように述べている。
『メキシコのマヤ文明圏とその他の地域には、翼竜類などをかたどった黄金の像が残されていますし、ボナンパクの壁画に恐竜が描かれていることはよく知られています。恐竜が滅んだのは太古の昔のはずなのに、一体なぜマヤの人々が恐竜を知っていたのでしょうか?』

この惑星で人類の進化が始まった時より遥か昔に恐竜は死に絶えたというのが、科学界における通説である。だが、なぜマヤ文明が残した芸術の中に、人と恐竜らしき生物との交流が描かれているのだろうか?それも、恐竜が絶滅した地で見つかっているのだ。

古代宇宙飛行士説では、さらなる証がカンボジア北部にある世界最大規模の寺院建造物アンコールワットにあると考える。神聖な建造物の壁を彩る精巧な石の彫刻の数々。中には、この寺院が建てられた地域に生息したと思われる動物の姿も数多く刻まれている。しかし、この中に恐竜のような姿をしたものがあり、考古学者たちを悩ませ続けている。

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(よく知られているステゴサウルスに見えるけど・・・)

地質学者のマーク・ウィルソン氏が語る。
『タ・プロームと呼ばれる寺院があります。この寺院の壁には円形のモチーフが刻まれているのですが、そのうちの一つがステゴサウルスのように見えるのです。このことから、有史時代(文献的資料が存在する時代を指す)にも恐竜が生きていたのではないかと言われてきました』

出版編集者のジョルジョ・ツォカロス氏が語る。
『骨格ではなく、筋肉や皮膚のある状態でステゴサウルスが描かれています。まるで、生きたステゴサウルスを見たのではないかと思えるほどです。この時代の芸術家に、なぜこのような彫刻が作れたのでしょうか?この生物に関する知識を与えられていたのでしょうか?』

自然史博物館のルイス・チアッペ所長が語る。
『古代文明のあった場所の多くが、恐竜が数多く生息した地域ですから、文明を築いた人々によってあちこちで化石が発見されていたに違いありません。そして、恐竜のような生物が芸術の中で表現されているのは、人々が恐竜とはどんな生物であったかを、化石から理解しようとした表れではないでしょうか。具体的にどうやって解明できたかは定かではありません。現代の私達ですら、200年前は恐竜の骨をどのように組み立てるかで手を焼いたわけですからね』

アンコールワットを建てた人々は、なぜ恐竜の体の構造を詳しく知っていたのだろうか?古代宇宙飛行士説で言われる様に、実際に恐竜と接触することによって知識を得ていたのだろうか?

アフリカ大陸のボツワナ北部、ツォディロヒルズ。考古学調査によって、2001年にここで人類最古の宗教儀式の痕跡が見つかった。それは、7万年より昔にサン人(カラハリ砂漠に住む狩猟採集民族。ブッシュマンとも呼ばれる)によって作られた6メートルに及ぶ蛇の彫刻だった。ヘビ信仰は世界最古の信仰形態の一つとして知られ、世界の至る所にこの信仰が見られる。

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(大きさからみて、恐竜ではないのか・・・)

しかし、高さが2メートルという頭部の大きさから考えると、これはニシキヘビではなく恐竜を彫ったものとは考えられないか。

作家のマイケル・バラ氏はこう考える。
『爬虫類の一種を崇拝していたことを示す芸術品が、古代には数多くあります。太古の昔、このような生物が地上にいたのでしょう』

『恐竜と人類が同じ時代を生きた裏付けとなるものが出てくると、科学はいつだってうまく言い逃れをしてきました。しかし、考古学的な証拠は、それほど単純に否定できるものではありません。初期の人類が、恐竜と遭遇していた可能性はあるのです』
このように語るのは、作家のフィリップ・コパンス氏だ。

古代人が恐竜の姿を描いているのは、人間と恐竜とがかつて共存していた証なのだろうか?正統派の科学者からすれば、この概念は受け入れられないばかりか、絶対にありえないことである。ただし、恐竜の足跡と並んで人間の足跡が化石となって残されている謎を、科学が説明出来ていないことも事実なのだ。
(つづく)


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骨格だけを見てその恐竜の全体像を把握・想像することは、現代人でさえ、かなり困難である。古い時代に作られた壁画や彫刻に残る生物の姿が、現代人の考える恐竜の姿と酷似している(ほぼ同じと言ってもよい)ことは、かなり異常だと言える。なぜなら通説では、どの時代の人間も恐竜を見ることは無いはずだからである。



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